華麗なる一族・最終回
ここ数回見逃していたらいつのまにか最終回。見終わって、近年リメイクされた「白い巨塔」もそうであったが、もの足りなさを感じた。理由はいくつかあるが、どちらの作品も俳優やスタッフの方々の力量は十分にあったことを考えるに、やはり放送回数が少ないことが大きいと思う。テレビドラマの映画に優る点は時間的な制約の少なさだと思うのだが、それを活かせない状況が今は製作者側と視聴者側の双方にあるのだろう。

コメント

シマリス
2007年3月19日7:42

私も昔本を読んだとき、その事を思い出しました。で、大人になった今、その事を考えると、もし小説が先ならば、彼が小説を読みその影響でそうしたのかもしれないし・・・逆ならば、山崎氏の彼への哀悼の気持ちから、敢えてその描写を選んだのかなって・・・考えてしまいます どちらにせよ、インパクトの強い迷いを捨てるような強い意思を感じる死に方ですね・・・

ろっしふみ
ろっしふみ
2007年3月23日0:25

調べてみましたが小説が先でした。ですが因果関係はわかりませんでした。

シマリス
2007年3月25日6:54

そうですね 他の方のBLOGで華麗なる一族の昔のドラマか映画に田宮二郎さん出てました・・・やっぱり、ろっしふみさんの推測が正しいように思えます

ろっしふみ
ろっしふみ
2007年3月25日19:27

へえー!なのでまた調べてみました。映画で美馬を演じてますね。話は変わりますが裏話興味深かったです。「加筆」は木村氏なりの正義感からなのでしょう。スタッフサイドが彼の提案を受け入れたこと、なにより山崎氏が了承した(であろう)ことから、最初から彼の正義感を反映させる方向で製作する方向性が決められていたものと思います。ただ彼は「キムタク」のイメージと価値が守られる範囲でしか演じないので、それは髪型や口調へのこだわりに象徴されていると思いますが、それゆえ彼が正義感を表すほど鼻白んでしまうという逆の効果が生まれてしまったのだと思います。彼がどうのと言うより「キムタク」を利用しなければ製作できない、視聴率を稼げないテレビの状況が貧困なのでしょう。

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